NPO法人 日向ぼっこ

MEDIA

選んでなれた家族だから

聖パウロ女子修道会『あけぼの』10月号 特集「『孤族社会』での結婚―互いを育む知恵と思いやり」

 「孤族社会」というワードをきいて、「孤族な家族像しか知らない」と答える人は、もはや少なくないのではないでしょうか。私の定位家族(生まれた家族・選べない家族)は、父はお酒飲みで、母は父のDVから逃れ、住まいを転々としていました。私もそれに振り回され、小学校を6回転校し、最終的に家族と離れ児童養護施設で高校卒業まで生活しました。子どもながらに「どうして誰もお父さん、お母さんを助けてくれないんだろう」と思っていました。父と母に繋がりがあれば、私も「産んでくれなきゃよかったのに」といった生きづらさを抱えずに済んだかもしれません。
 しかし、「私の『生きづらさ』は私だけの問題ではなく、家庭環境に恵まれず児童養護施設などで暮らすことになった人たちに共通する課題ではないだろうか」と考え、児童養護施設などで暮らしていた人たちの当事者活動「日向ぼっこ」を始めました。そして、様々な仲間と出逢う中で今の伴侶である隆行さんとの出逢いがありました。彼は「父親は亡くなった」と聞かされ、児童養護施設で生活していました。退所後歌手になる夢を叶えた彼は「児童養護施設に恩返しをしたい」と施設への訪問活動をしていました。その活動をご縁に私たちは出逢いました。初めて日向ぼっこの勉強会に参加した彼は、難しい専門用語が飛び交う勉強会にどのように参加したらいいかわからなかったようです。でも、「ミュージシャンだからできることをしよう」と切り替え、日向ぼっこのテーマソングを即日書き下ろしてくれました。日向ぼっこが勉強会から「居場所」を構えるようになったときも、音楽の仕事の合間を縫っては家具の組み立てや料理作りに励んでくれました。施設に訪問してはそこで出逢った子どもたちのことを楽しそうに語る彼に対し、当時他の男性と不倫関係にあった私は「この人とだったら明るい家庭を築くことができるかもしれない」と惹かれるようになりました。
 そして、お付き合いするようになり、すぐ同棲しました。私と同じように孤族な家族像しか知らない彼は、子どもの誕生を待ち望んでいました。結婚・妊娠以前に「男の子だったら…女の子だったら…」と子どもの名前を決めるほどでした。1年後に結婚し、そのまた1年後に妊娠し、男の子を出産しました。現在結婚して5年。息子は2歳になりました。
 よく、「結婚や子育てに不安はなかったのか」と質問されますが、私が負ったしんどさは私でお終いにしたいと考えています。夫も「父親像がわからないから、自分らしい父親になればいい」と語っています。「こうあらねばならない」という感覚が良くも悪くも欠落している私たちは、自分たちの感性でおおらかに、わからない部分は衝突しながらも試行錯誤して家族を築いているように感じます。
 うっかり円満なように書き進めてしまいましたが、直情径行な私は、争いを避けるタイプの夫を傷つけることが多いようなので、気をつけなくてはなりません。喧嘩になった時には我慢していた分、それまでの不満を爆発させる夫には、もっと日ごろから小出しに不満を話して欲しいと伝えています。夫にだからこそ、つい「言わなくてもわかってほしい」と思ってしまうことが、疲れている時ほど強くありますが、夫婦とは言え、何もかもわかり合えるはずはありませんよね。選んでなれた家族(生殖家族)なのですから、お互いにとって心地よい関係を模索していきたいです。

渡井さゆり
(特定非営利活動法人 社会的養護の当事者参加推進団体 日向ぼっこ 理事長 兼 当事者相談員。厚生労働省社会保障審議会児童部会社会的養護専門員会委員。1児の母)

日向ぼっこロゴ